実際に見聞きしたことを中心に韓国のウンチク情報を紹介しています。妻が韓国人ならではのディープなネタもあります。


慕本王の諱は解憂(もしくは解愛婁)といい、大武神王の嫡男である。
閔中王の崩御により王位を継いだが、粗暴で思いやりがなく、国事を疎かにしたので、民はみな王を恨んだ。

元年(48年)冬10月、王子の翊を皇太子に立てた。

2年(49年)春、王は将軍に命じて、後漢の北平(中国河北省北東部にあった郡)、漁陽(中国北京市北部にあった郡)、上谷(中国河北省北西部にあった郡)、太原(中国山西省太原市にあった郡)を攻撃させた。
遼東太守の祭彤が恩義と信義を持って対応したため、両国の関係は元に戻った。

4年(51年)、暴君と化した王は、人の上に座り人を枕にして眠った。
このときに動揺を見せた者は、謀反者として容赦なく斬り捨てられた。
忠告する家臣は、弓で射殺された。

6年(53年)冬11月、側近の杜魯が王を殺した。
杜魯は慕本人である。
いつ王に殺されるか心配で泣いていた杜魯に、ある者が言った。
「勇敢な君がなぜ泣いているのか。
昔の人も『優しくしてくれる人が王であり、虐げる人は仇である』と言っている。
どうすればいいかは自ずとわかるだろう」
杜魯は、短刀を隠し持って王の前に進み出た。
王がいつものように杜魯の上に座ったところで、懐から短刀を出して王を刺した。
王は慕本原(地名)に埋葬され、諡号を慕本王とした。

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