実際に見聞きしたことを中心に韓国のウンチク情報を紹介しています。妻が韓国人ならではのディープなネタもあります。


ソニーが液晶パネルの供給先をシャープに変えたというニュースが、さまざまな媒体で報道されています。
そのなかで「これは真実をついている」と思ったものをアップします。

<グローバルアイ>三星、ソニーとの別居
#1.「私たち大変なことになってしまいました。今後どうしましょう」
週末の23日午後、三星(サムスン)のある関係者から電話がかかってきた。この日、日本経済新聞朝刊に「ソニー、液晶パネル、シャープから調達」という1面トップ記事が出た後だった。三星と合作で作った‘S−LCD’からほとんど独占で液晶パネルを供給を受けてきたソニーが、一言で三星に背を向けたのだ。
「元々そんな話があったんですか」
「そうですね。そんな雰囲気はちょっとありはしましたが…。しかしこんなに急に変わるとは思いませんでした
(中略)
#3.「さて、変ですね。どうしてそんなに収益が出るんですか」
 先日会ったソニーの日本人幹部が、ちょっと首をかしげていた。三星が先月発表した昨年の液晶テレビの実績の話だ。相当な収益をあげているのが、まったく理解できないというのだ。
  「S−LCD工場でまったく同じくパネルの供給を受けているし、テレビに使われる部品の価格もベテラン同士はすべて分かっています。でも三星は海外市場でソニーより低価格で売っているんですよ。それでもソニーは液晶テレビの受益率が低い一方、三星は‘なぜか’高いんです
 同じラインで生産されるパネル価格の適用の仕方が違うのではないかという不信の間接表現だった。
(中略)
「これは私たちが1位にますますもっと近づくほど、三星では別の手を使うはずですが…」
  結論として3つの場面はすべてつながる。ソニーの“三星離脱”は予見された手順だったのだ。ソニーとしては不便な相手になってしまった三星と無条件にずっと手を取り合っている理由はなかった。
(中略)
[金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員/中央日報 joins.com 2008.02.28]


中央日報の記者と関係者の生々しいやり取りが掲載されています。
ソニーはテレビ製造メーカーで、サムスン電子LCDは部品メーカーなわけですから、新製品を出すときに部品を他社製品に替えることなど日常茶飯事です。
どこのメーカーでも行っていることです。
その証拠に、日本の報道では、シャープとの提携のほうに重点が置かれていました。専門系になればなるほど、その傾向が強いように思いました。

一方、韓国では「離婚だ、離婚だ」と大騒ぎです。
記事の中心は、ソニーが次世代パネルでサムスンと合弁しないことと、ソニーの援助がなくなったあとの設備投資費用をどうするかの2点です。

「やはりチョッパリ(日本人に対する蔑称)は信用できない」「一方的に提携解除は道理に反する」といった心情的な意見がネット上で氾濫しています。三・一節が近いから、反日的な傾向がより強まっているようです。

記者会見でイ・サンワン(李相浣)サムスン電子LCD総括社長は
「ソニーとの決別は先走った推測に過ぎない」
「今後も協力関係を維持していくつもりだ」
と発言しています。
しかし、ソニーとシャープが提携することを知っていたかという質問に対しては、終止無言で発言を避けました。
まったく知らされていなかったら「ソニーにだまされた」と言って激しく非難したでしょうから、こうなる前にソニー=サムスン間で話し合いが持たれたことは間違いないでしょう。

上の記事を読めば以下のようなことが読み取れます。

[昭圓隆愀犬危ういことを幹部は知っていた
▲愁法爾浪掲笋蟆然覆亡悗靴読埒感を持っていた
ソニー側はサムスンと手を切りたがっていた

要するに、ソニーとしてはサムスン電子と提携してもメリットがないばかりか、重要な企業情報を握られて市場競争で不利になると判断したのでしょう。
日本人と韓国人との交渉だったら、ある程度の設備投資をサムスンがソニーに約束させることができたかもしれません。
しかし、ソニーは日本企業といっても、社長がアメリカ人で取締役にも複数の外国人が在籍するグローバル企業ですから、ドライな決断ができたわけです。

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2007年の観光統計と2008年日韓観光交流年について
昨年、日韓の人の往来は、史上初めて450万人を突破し、約480万人にも上りました(日韓両国の観光当局である日本国際観光振興機構(JNTO)及び韓国観光公社(KNTO)による。)。
1965年の日韓国交正常化当時、両国間の人の往来は年間1万人でしたが、現在では1日1万人をはるかに超えたており、日韓の人的交流500万人時代が目の前です。
もう少し詳しく、この5年間を見てみると、韓国から日本を訪問する人は、2002年には130万人でしたが、昨年2007年には倍増の260万人に飛躍的に増加しました
これは、韓国からの海外旅行客が全般的に大幅に増加しているという状況に加え、ウォン高−円安基調や、90日間の短期滞在ビザの免除措置等の要因や、日本におけるビジットジャパンキャンペーンや自治体の観光客誘致策が実を結んだことによるものと思われます。
一方、日本から韓国を訪問する人は、2004年に244万人であった状況から少しずつ減少傾向が続いています
これは、韓国から日本を訪問する場合と反対に、日本人の海外旅行客が基本的に減少傾向であることに加え、ウォン高−円安の悪影響も大きいほか、韓流ブームも一時と比べると静かになってきたことによるものと思われます。
今年は、日韓両国の観光当局である国土交通省と文化観光部により、日韓観光交流年と位置づけられ、両国間の観光交流及びその他の地域からの観光客誘致における一層の協力強化が重要であるとの認識の下、次のような事業に共同して取り組むことになっています。
(1)「日韓観光交流の夕べ」などの交流行事の持続的な実施
(2)青少年交流活性化
(3)日韓地方間交流活性化
(4)文化、スポーツイベント交流活性化
(5)北京オリンピックの機会を捉えた日韓共同プロモーション
国際観光交流は、相互理解を深めるためにも、それによりお互いの地域の経済活性化や、お互いの文化的価値を高めることにも役立つものです。これらの行事に参加したり、日韓の観光地を訪問したりして、皆様にも日韓観光交流年を楽しんでいただければ幸いです。
20080205.gif

[在大韓民国日本国大使館新着情報08.02.05]


いよいよ500万人交流の時代が見えてきました!
しかし、韓国→日本が260万人、日本→韓国が220万人となり、韓国から来る人のほうが40万人も多くなってしまいました。
これはウォン高が最大の原因です。
その証拠に、日本を訪れる韓国人だけが増えているわけではなく、世界中で韓国人観光客が増えています。
日本を好きな韓国人が増えたからだと言う人がいますが、決してそんなことはありません。
明後日の三・一節を見れば、よくわかります。

ボクのまわりの韓国人たちも、ここ数年よく日本へ来るようになりました。
女性陣の目的はショッピングで、メインは高級化粧品です。
資生堂やカネボウはもちろんのこと、欧米メーカーの化粧品も、韓国よりずっと安いんだそうです。
買う場所はマツキヨなどの激安店で、ちゃんとポイントカードも利用しています。
バーバリーの女性用コートなんかも、韓国の免税店では扱っておらず、かといってロッテ百貨店や現代百貨店で買えばすごく高くなるので、日本でディスカウントしているモノを買うのがイチバンだとのこと。
時代は変わったんですね。
数年前までは、日本女性のほうが格安ショッピングをするために韓国へ飛んでいたのに・・・

男性陣は電気製品を物色する人が多いように思います。
義兄のジンさんは来日するたびに小型電気製品を買ってますし、義弟のシンさんはヨドバシカメラやビックカメラをまわって、一眼レフカメラの交換レンズを買います。
高級ステレオのアンプを買った友達もいました。
サービスで電圧を200ボルトに変換してくれるショップも少なくありません。

日本へ来てくれるのはウレシイのですが、ショッピングのときに通訳するのは苦痛です。
韓国男性は値切らないと思っている人がいますが、今はそんなことありません。
何軒もまわって最安値の店で購入するのが普通です。
しかも、最後の店でさらに値切ろうとするので、通訳するボクのほうが恥ずかしくなってしまいます。

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126年前に制作された最初の太極旗、英国で見つかる
 独立記念館(忠清南道天安市)は27日、126年前に制作された太極旗(韓国の国旗)の原型にあたる旗が英国国立公文書館に保管されているのを発見し、この旗を3月1日の3・1節(独立運動記念日)に公開する方針を明らかにした。
 今回公開される最古の太極旗は、1882年に朴泳孝(パク・ヨンヒョ)が日本への航海中に制作した太極旗の原本をそのまま写したものとされる。この太極旗は1882年11月1日に日本の外務大輔(現在の外務次官にあたる)、吉田清成が駐日英国公使に送った書簡に添付されていたものだ。
 独立記念館の関係者は「これまで太極旗の原型については論争が絶えなかったが、今回もっとも古いものが発見されたことで、それも収束することだろう。由来を正確に把握することで、いっそう太極旗に誇りを持ってもらえるのではないかと期待している」と語った。
[朝鮮日報JNS 2008.02.28]


1882年は、明治15年、李氏朝鮮では高宗の19年にあたります。
岐阜で板垣退助が襲われ、日本銀行が設立された年です。
この年の8月30日、日本政府は李氏朝鮮政府と済物浦条約を結んでいます。
7月23日、漢城(ソウル)の日本公使館が襲撃され、公使館の日本人や朝鮮政府の高官が殺害されました(壬午事変)。
日本政府は朝鮮へ軍隊を派遣して交渉にあたり、日本軍が朝鮮に駐留して公使館を警備する権利を認めさせました。
このとき締結されたのが、済物浦条約です。
ちなみに、済物浦は仁川の旧名です。

この条約では謝罪使の派遣も義務付けられており、記事中の朴泳孝は謝罪使の一員であったと思われます。
朴泳孝たちは、日本での交渉を有利に進めるため、船中で国旗を考案し、それを日本側に提示したのでしょう。
彼らが国旗制作を大っぴらにできなかったのには、はっきりした理由があります。
李氏朝鮮は清を宗主国と仰いでいましたから、朝鮮の国旗を掲げるなどもってのほかだったわけです。
国旗を考案したことが明らかになれば、清朝政府から無理難題をふっかけられることは目に見えています。
しかし、国旗がない独立国というのも、欧米的常識では考えられないことです。
交渉の場で朝鮮側から国旗の原案が提示されたのでしょうが、独立を認めたくない日本は、その事実を闇に葬りさったのでしょう。
しかし、吉田清成が駐日英国公使への書簡で国旗の件に言及しているわけですから、国家機密という程のものでなかったことも確かです。

わざわざ三・一節に公開することだけを聞けば「また日本に対する嫌がらせか?」と思ってしまうのですが、この旗の背景にある歴史を考え合わせると、独立記念館が3月1日を選ぶのは仕方がないのかもしれません。

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 国際空港評議会(ACI:Airports Council International)はこのほど、世界の空港サービスを格付けする「Airport Service Quality Awards 2007」の結果を発表した。同調査は、チェックインから搭乗口まで34項目にわたる空港サービスを約20万人の搭乗者が評価したもの。
 2007年のトップには、韓国の仁川(インチョン)国際空港が輝いた。以下、マレーシアのクアラルンプール国際空港、シンガポールのチャンギ空港、香港国際空港と続き、日本の中部国際空港が5位にランクイン。トップ5をアジア太平洋地域の空港が占める結果となった。
 1位を獲得した仁川空港について、プログラムディレクターのCraig Bradbrook氏は「仁川空港は経営陣がクオリティの高い空港サービスを誇りとし、国家の観光事業の一部として考えている。つまり、良質なサービスの提供に、政策上でも非常に高いプライオリティーがあるということだ」と説明した。
 なお、地域別ランキングでは、北米がダラス・フォートワース(米国)、南米がグアヤキル(エクアドル)、ヨーロッパがポルト(ポルトガル)、中東がテルアビブ(イスラエル)、アフリカがヨハネスブルグ(南アフリカ)の各国際空港がトップの座を獲得している。
[マイコミジャーナル 2008.02.27]


2007年の世界空港ランキングトップが、仁川国際空港に輝きました。
まぁ、これは妥当な評価だと思います。
しかし、要望もあります。
1つは韓国料理の専門店をもっと増やしてほしいこと。
もう1つはトランジット客用のチムジルバンをつくってほしいことです。

ボク的に世界の空港をランキングすると、/寮邏港、▲轡鵐ポール空港、9畊繕港、ぅ丱鵐灰空港、ゥアラルンプール空港の順になります。
やはり欧米の空港はランクインしません。
設備はともかく、サービスがよくないですよね。
不快な体験をすることが少なくありません。
気持ちよく対応してくれるのは、なんといってもアジアです(中国とインドは例外)。

日本では、中部空港が群を抜いているのではないでしょうか。
新しいというのもありますが、滑走路が見える展望風呂を設けるなど、顧客サービスに徹しています。
名古屋商人とトヨタ自動車スタッフがタッグを組んだ結果ですね。

仁川空港が立派なことはいいのですが、韓国の地方空港がちょっと心配です。
2010年に仁川空港=ソウル駅間の路線が開通すれば、地方都市へ簡単にアクセスできるようになります。
韓国第二の人口を抱える釜山金海空港(新ターミナルが完成したばかり)や、南の島にある済州空港は大丈夫でしょうが、そのほかの空港はけっこうヤバイくなるのでは?

仁川国際空港Wikipedia

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ある田舎の村に、貧しい若者がひとりで住んでいた。
小さい時に両親を亡くし、人の家の手伝いをして暮らしていたため、結婚なんて夢にも考えられなかった。
それでも、生まれ持った性格が真面目だったため、いろんな家から仕事を頼まれ、村から一歩も離れず一所懸命に働く日々を送っていた。

ある日、仕事先に向かって歩いていると、大木の下に座っていた老人たちが、若者を呼びとめた。
ひとりの老人が口を開いた。
「おまえは一生そんな暮らしをしていくつもりか?」
若者はぶっきらぼうに答えた。
「オイラの暮らしなんてそんなもんですよ、ご老人」
老人は首を左右に振りながら言った。
「人にはその人なりの生まれ持った福というものがあるんじゃ。
若い者は何か道を探してみなくちゃいかん。
噂によると、西天西易国に行けば福を授けてもらえるという話じゃ」
若者は老人の話に興味がわいてきた。
「あのぉ、その西天西易国っていうのはどこにあるんですか?」
老人は笑って答えた。
「西にあるから西天西易国というんじゃよ、ハッ、ハッ、ハッ」

真面目な若者は、その話を信じた。
若者は小さな風呂敷包みを背負い、西天西易国に向かって旅立った。
老人が教えたとおりに、とにかく西へ西へと歩いた。
汗をかきながら歩いているうちに日が沈み、まわりが真っ暗になった。
泊まるところを探してみたが、人家はなかなか見つからない。
さらに夜道を進むと、前のほうに小さな灯りが見えた。

大きな瓦葺の家には、きれいな娘がひとりで住んでいた。
娘は若者に夕飯を出したところで、                   
「ひとりでどちらへ行かれるのですか?」
と尋ねた。
「福を授かりに西天西易国まで行くところです」
ご飯を口に含んだまま、若者は答えた。
娘はしばらく考えこんでいたが、決心がついたのか、男にこう言った。
「お願いがございます。
私には財産はありますが、夫運に恵まれず、このように一人暮らしでございます。
婚約が決まるたびに相手の方が亡くなってしまうのです。
いったいどういう殿方に出会えば幸せになれるのか、その国で聞いていただくわけにはまいりませんか」
若者は「そのようにしましょう」と答えた。

夜が明けると、男は家を出て、西天西易国に向かって歩き出した。
歩いているうちにまた日が沈んだので、一晩泊めてもらうために、ある家の門を叩いた。
その家の主人も「どこへ行くのですか?」と聞いてきた。
「西天西易国に福を授かりに行くところです」
若者は前と同じように答えた。
すると、その主人も頼み事をしてきた。
「私の願いを聞いてください。
畑に梨を三本植えましたが、時期がとうに過ぎているのに実が生りません。
その訳を聞いてきてくれませんか?」
若者は「そのようにしましょう」と答えた。

こうして、もうひとつの頼み事を託された若者は、旅を続けた。
休まず西へ西へと歩いていると、大きい川にぶつかり、道が塞がってしまった。
どうやって渡ろうか思案していると、大蛇が現れ話しかけてきた。
「おまえはどこへ行くのだ?」
若者はガクガク震えながら
「福を授かりに西天西易国へ行くところです」
と答えた。
「そうか。それなら私が川を渡してあげるから、頼みを聞いてくれないか?」
大蛇はとぐろを解きながら言った。
男は、またかと思ったが、大蛇が怖くて断れなかった。
「お願いって何ですか?」
「修行をして千年過ぎたら龍になって昇天できることになっていた。
ところが、千年をとうに過ぎたというのに、一向に昇天できない。
どうすればよいのか西天西易国で聞いておくれ」
若者は「そのようにしましょう」と答えた。
返事に喜んだ大蛇は、若者を乗せて勢いよく泳ぎ出し、半刻もしないうちに対岸へ着いた。

若者は、また西に向かって歩き出した。
しばらく歩くと、子供が土手で釣りをしているのが見えた。
近づいて魚カゴを覗くと、その中には小魚一匹いなかった。
若者は子供に声をかけた。
「一匹も釣れてないね」
子供は釣竿を持ったまま振り向いて言った。
「お兄さんはどこへ行くの?」
「西天西易国というところへ福を授かりに行くんだよ」
「ボクはここでずっと釣りをしてるけど、声をかけられたのは初めてだ。
ひとつお願いしてもいい?
大きい魚を釣るにはどうしたらいいか聞いてきてくれる?
若者は「そうすることにしよう」と答えた。

子供と別れて、また歩き続けた。
険しい峠をいくつか越えたところで暗くなり、道がわからなくなってしまった。
迷い歩いていると、遠くに灯りが見えた。
そこは、小さな藁葺き屋根の家だった。
庭に入ると、老婆が台所で薪をくべていた。
若者は泊めてもらえるよう頼んだ。
「おばあさん、道に迷って日が沈んでしまいました。一晩泊めてもらえませんか」
老婆はしゃがんだまま答えた。
「狭くてむさ苦しいところじゃが」
若者はさらに頼み込んだ。
「そんなのかまいません。
お願いですから泊めてください」
老婆は「それなら泊まっていきなされ」
と言い、家に入った。
夕飯に出てきたのは、大根三切れと冷たい水一杯だけだった。
老婆はカゴを編みながら言った。
「ふだん食べられるのはこれだけなんじゃ」
翌朝出された食事も同じものだった。

若者が出発しようとすると、老婆は呼び止めて聞いた。
「おまえはどこへ何をしに行くんじゃ?」
若者はまたかと思いながらも答えた。
「福を授かりに西天西易国へ行くところです」
返事を聞いた老婆は、意外な言葉を口にした。
「いったいどこに行って福をもらうつもりなんだい。
これ以上歩いたって無駄だから、そのまま帰りなされ。
帰れば何とかなるさ」
若者は驚いて言った。
「来る途中でお願いされたことがたくさんあって、このまま帰ることはできないんです」
老婆は大声で言った。
「そのお願いってのはなんじゃ!」
そこで若者は老婆に、来る途中で頼まれた事の数々を詳しく話した。
話を聞き終わった老婆は、何かを思い出すように言った。
「そんなの大した事じゃないさね。
釣りの子供にはビンタをくらわすだけでいいんじゃ。
大蛇は、口にふたつ入れている物のうち、ひとつを出せばよい。
畑の主人は、梨の木の下に埋まっている物を掘り出して捨てるのじゃ。
それから、最初の娘は、童子参と宝珠と金塊を持っている男に出会えば幸せになるんじゃ」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
若者は何度もお礼を言った。

この真面目な若者は、老婆の話を信じて道を戻ることにした。
まず土手で釣りの子供に出会った。
子供はあいかわらず釣竿を持ったまま言った。
「お兄さん、わかった?」
「悪いけど、おばあさんがこうしろって!」
そう言いながら男の子の頬をぶん殴った。
すると、子供はバタンと倒れて動かなくなった。
目を凝らして見ると、それは子供の形をした根っ子だった。

その根っ子を風呂敷にしまい、道を進んで大蛇に会った。
「昇天する方法はわかったか?」
若者は頷きながら答えた。
「わかりました。
川を渡してくれればお話しましょう」
反対側の岸に着くと、若者は大蛇に言った。
「口の中に何があるのかわかりませんが、ふたつ入れているのはダメですって。
ひとつを捨てれば天に行くことができるそうです」
「そうだったのか、ふたつ入れてればもっとうまく昇れると思っていたんだよ」
そう言うと、大蛇はすべすべした丸い石をひとつ吐き出した。
すると、天地が揺れて雷が鳴り始め、大蛇は龍になり天に昇って行った。

若者は、大蛇が吐いた玉を風呂敷にしまい、自分の家がある村へ向かって歩き出した。
しばらくすると、梨の屋敷に着いた。
若者を見た主人は言った。
「私が頼んだことはわかりましたか?」
若者はニコッと笑って答えた。
「梨の木の下に埋まっている物を掘り出せば実をつけるそうです」
主人は召使に鍬を持ってこさせ、すぐに掘り始めた。
三尺ほど掘ると黄色の石が見えた。
「お礼としてお持ちになってください」
主人はそう言って、石を若者に手渡した。

若者は石の塊を持って帰りを急いだ。
しばらく歩くと、美しい娘が住む家に着いた。
娘は若者を招きいれ、お茶を出したあと小声で言った。
「ご無事のお帰り、おめでとうございます。
それで、男性運に恵まれる方法はどうなりましたでしょうか?」
若者は申し訳なさそうに答えた。
「もちろんわかりましたが、そう簡単ではないようです。
童子参と宝珠と金塊を持っている男に出会えば幸せになれるそうです。
そうでないかぎりは、どんな人に出会ってもダメみたいです」
話を聞いた娘は悲しそうな顔をして
「そのような方と巡り会うにはどうしたらよいのでしょう」
と言い、ため息をついた。
しばらくして、若者が目の前に座っていることを思い出した娘は、顔を上げて尋ねた。
「あなた様は、福を授かることができたのでございますか?」
「山中で出会ったおばあさんに引き返したほうがよいと言われました。
帰る途中で、小さな根っ子と丸石、それと石の塊をもらっただけです」
「そうでございますか。
ちょっと見せていただいてもよろしゅうございますか?」
若者は「いいですよ」と言って、風呂敷を広げて中身を娘に見せた。
それを見た娘は驚いて言った。
「これは童子人参に違いないし、これは玉で、これは金です!」
娘は大粒の涙をこぼしながら、若者に向かって言った。
「やっと生涯の伴侶に巡り会うことができました」

こうして、若者は綺麗な娘と結婚し、庄屋の主人となった。

(text by 阿伊宇得憶)

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韓国の出生率、2年連続上昇・07年、「黄金豚年」で縁起担ぎ?
 世界最低水準に落ち込んだ韓国の出生率が上向いてきた。統計庁が26日発表した2007年の出生統計(暫定値)によると、1人の女性が生涯に生む子供の数(合計特殊出生率)は1.26となり、2年連続で上昇した。出生率は05年に過去最低(1.08)を記録した後、06年は1.13と3年ぶりに上昇に転じていた。
 07年は出生数が49万7000人と前年より4万5000人増加した。韓国では、07年は生まれた子供が金運に恵まれるといわれる「黄金豚年」にあたり、縁起担ぎの出産が増えたためとの指摘がある。統計庁は朝鮮戦争後に生まれた世代の子女が結婚適齢期を迎えたことや政府の少子化対策の効果を要因に挙げている。
(ソウル=鈴木壮太郎)
NIKKEI NET 2008.02.26


政府の少子化対策なんてたいした効果を上げているとは思えないので、これは黄金豚年(ファングムデジヘ)のおかげなんでしょうね。
易術の影響って、まだまだバカにならないんですね。
去年の旧正月のとき、妻の実家でこの黄金豚年が話題になりましたが、そのときはみんな「そんなの信じてない」と言っていたのに・・・。
そういえば、義母は18金製の子豚を買ってきてリビングに飾っておりました。

十二支は中国で始まりましたが、それに動物をあてるようになった時期はよくわかっていません。
十干は紀元前1000年以上前の商(殷)時代には存在していました。
十干を表す甲骨文字が殷墟から出土しているので確かです。
年を60年周期で記す十干十二支は、戦国時代の中国で定着したようです。
五行説が普及したのもこの時代です。

日本人にはイノシシ年がブタ年になるのは奇妙に感じるかもしれませんが、これは日本のほうが特殊なのです。
中国人や韓国人から見れば「なんで日本は猪になるの?」ということなんです。
中国語で『猪(ジュー)』は豚を意味します。
西遊記の猪八戒はブタですよね。
イノシシは『野猪(イエジュー)』といいます。
儒教の儀式には豚がかかせないことからもわかるように、中国や韓国では猪よりも豚のほうがずっと身近な動物でした。
しかし、昔の日本には豚がほとんどいませんでした。
そこで、周りにたくさんいる猪が、豚のかわりをつとめるようになったわけです。
ちなみに、ベトナムでは、虎年が猫年になっています。
トラがいないからというのが通説ですが、ボクはそうは考えていません。
昔は北部に華南虎がいたし、羊のほうがよほど馴染みが薄かったからです。
十二支に興味がある方は南方熊楠の『十二支考』をお読みください。おすすめです!

さて、韓国の黄金豚年に戻りましょう。
豚年である亥年は、12年に一度やってきます。
豚は、財産、幸福、多産、繁盛を象徴すると考えられてきました。

同じ亥年でも縁起が良いとされる赤い豚年(丁亥年)は、60年に一度巡ってきます。
五行説の丁は火、赤、南に配されます。
それで、丁亥は赤い豚とされています。
韓国で赤い豚が縁起が良いとされる理由については、火(プル)だからとか長男豚にあたるからとか、さまざまな説がありますが、よくわかっていません。
その年に生まれた女は男を食うとされるヒノエウマ(丙午)も60年に一度です。
日本で1966年の出生数が大幅に下がっているのは、このヒノエウマが原因です。

その丁亥年のなかでも元旦が土の日になるのが黄金豚年で、600年に一度しか巡ってこないのです。
この年に産まれた子供は、財産運に恵まれ必ず幸せになるとされています。
中国や台湾でも盛り上がっていたところをみると、中国で始まった習慣が韓国に伝播したものと考えられます。

2006年は、結婚すると幸せになれる双春年(サンチュンニョン)でしたから、2006年に結婚して2007年に子供を産めば、最高の人生を歩むことができるわけで、それを実行したカップルが少なくなかったことを、この統計が証明しているわけですね。

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即位した瑠璃明王の諱は類利(もしくは孺留)、始祖王朱蒙の長子で、母は礼氏といった。
朱蒙が夫餘にいたときに結婚して懐妊したが、産まれたのは朱蒙が夫餘を出立した後だった。

幼い頃の類利は、よく出歩いて遊んでいた。
ある日、道で雀を撃って遊んでいたところ、婦人が抱えていた水瓶に玉があたり、水瓶が粉々に砕けてしまった。
婦人は類利を罵って言った。
「この子は父親がいないから、こんななんだわ」
恥ずかしく思った類李は家に帰って母親に尋ねた。
「私の父は誰で、いまどこにいるのですか
母は答えた。
「そなたの父は尋常成らざる者です。
そのため、国に留まることが許されず、南の地で王となられました。
『男の子が産まれたら、我が息子に伝えておくれ。七稜石の松の下にある物を残しておく。首尾よくそれを探し出すことができたらわが子である』
そなたの父はこうおっしゃって出国されました」
類李は野山を駆けずりまわって探したが、見つけることができず、疲れ果てて家に戻った。
家に上がると、柱と礎石の間から音が聞えてきた。
音がする場所を見ると、その礎石が七稜石であった。
柱の下を探すと折れた剣の片方が出てきた。
さっそく、家来の屋智、句鄒、都祖とともに卒本へ行き、王に折れた剣を差し出した。
王は自分が保管していた剣と合わせた。
すると、寸分違わずに合わさって1本の剣になった。
王はおおいに喜び、類利を皇太子とし、王位を継がせることにした。

2年(B.C.18年)秋7月、多勿侯松譲の娘を王妃とした。

2年(B.C.18年)冬10月、百済の始祖である温祚王が即位した。

3年(B.C.17年)冬10月、王妃の松氏が死去した。
瑠璃明王は、鶻川国出身の禾姫と前漢出身の雉姫を側室とした。
しかし、ふたりは王の寵愛を争って喧嘩ばかりしていた。
そこで、王は涼谷に東宮と西宮を造営した。
田猟(神への捧げ物を捕るための狩猟で一種の宗教行事)のため、王は箕山へ出かけ、7日間城を留守にした。
このとき、ふたりはまた言い争った。
禾姫が言った。
「もとは漢人の召使いのくせに、あなたはどうしてそんなに非礼なの」
これを聞いた雉姫は、恥じて実家に帰ってしまった。
帰城してこのことを知った王は、馬を跳ばして雉姫を追いかけた。
しかし、怒った雉姫は帰って来なかった。
王が木下で溜息をついていると、朝鮮うぐいすが空を飛び交っていた。
王はそれを見て詩を詠んだ。

すいすい飛んでいるうぐいすたち
雄と雌が相寄り添って飛んでいる
自分の孤独を想わずにはいられない
誰といっしょに帰ればいいのだ

11年(B.C.9年)夏4月、王は群臣に言った。
「鮮卑族は、領土が険峻なのを頼みにして、我が国と和を結ぼうとしない。
利ありとみれば我が国へ侵入し、不利となれば墨守して出てこない。
国患とはまさにこのことじゃ。
この憂いを取り除いてくれた者には、望みの褒美を与えようぞ」
このとき、扶芬奴が王の面前に進み出て言った。
「鮮卑は守るに固い国でございます。
ただ、鮮卑人は勇猛ですが、愚か者ばかりです。
力で屈服させることは困難でしょうが、計略をもってすれば容易かと存じます」
これを聞いた王は尋ねた。
「ならば、どのようにすればよいのだ」
扶芬奴は答えた。
「鮮卑国へ密偵を送り込み『高句麗は小国で弱兵ばかりだから怯えて兵を動かすこともできない』という噂を流しましょう。
さすれば、鮮卑は油断して備えが疎かになるはずでございます。
私は精兵とともに鮮卑へ侵入し城外の森に潜んでおります。
王は弱兵を率いて敵城の南面にお進みください。
鮮卑軍はここぞとばかりに城を出て追いかけることでしょう。
その隙を狙って私が城を占拠いたします。
私が城を奪ったら、騎馬兵と合流して引き返し、敵軍を挟み撃ちにしてくださいませ」
瑠璃明王は、この作戦を支持した。
果たして、そのとおりに事は進んだ。
扶芬奴は、城門で立ち塞がって戦い、多くの敵軍を斬り捨てた。
王軍は旗を立て軍太鼓を打ちながら進軍した。
前後を取られた鮮卑軍は降伏して、鮮卑は高句麗の属領となった。
王は扶芬奴功績を讃え、領地を与えようとしたが、
「このたびの戦勝は王様の人徳によるものでございます。私になど何の功績もございません」
と言って固辞したので、王は黄金30斤と駿馬10匹を扶芬奴に下賜した。

14年(B.C.6年)春正月、夫餘の帯素王が、人質の交換を希望した。
王は夫餘が強国であることをおもんぱかり、皇太子の都切を送った。
しかし、都切は恐れて夫餘へ入国せず、夫餘王激怒させた。

14年(B.C.6年)冬11月、夫餘が5万の兵で攻めて来たが、大雪のために大量の死者が出て引き上げた。

20年(1年)春正月、皇太子の都切が逝去した。

21年(2年)春3月、神に捧げるための豚が逃げた。
王は、担当者の薛支に探し出すよう命じた。
尉那厳(中国吉林省集安市)まで追いかけてやっと見つけたが、豚はその土地の者に飼われていた。
帰国した薛支はこう報告した。
「私は豚を追って尉那厳まで行ってまいりました。
そこは山水深険で、五穀がよく実り、獣や魚も豊かなところでございます。
そこへ都を移せば、民のためになるばかりでなく、外患の憂いも取り除くことができます」

21年(2年)秋9月、王は尉那厳に行って地勢を確かめた。
沙勿沢(地名)まで戻ると、男が沢の石に座っていた。
男は王の家臣になることを望んだ。
王は喜んで許し、位の氏と、沙勿という名を与えた。

22年(3年)冬10月、国内(中国吉林省集安市)に遷都し、尉那厳城を造営した。

22年(3年)冬12月、王は質山へ田猟に出掛け、5日間戻らなかった。
宰相の陜父が諫めて言った。
「都を移してから日が浅いため、民はまだ落ち着いておりません。
政に専念しなければならない時期にもかかわらず、王様は田猟に出掛けたまま久しくお戻りになりません。
王様が心を入れ替えて民のために働かねば、政が疎かになって民が離れ、先王の業績が地に落ちてしまいます」
これを聞いて激怒した王は、宰相の職を解き、官園の管理を命じた。
怒った陜父は高句麗を去り、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)の地に去った。

23年(4年)春2月、解明を皇太子とし、大赦を行った。

著者注:西暦8年、前漢が滅亡し、王莽が新王朝(8〜23年)を興した。

27年(8年)春正月、解明は旧都の卒本で暮らしていた。
武勇に優れ、力自慢だった。
黄龍国(中国遼寧省朝陽)の王がこの噂を聞き、強靭な弓を贈った。
しかし解明は、使者の面前で弓を引き絞って折った挙句、
「おれに力があるのではなく、この弓が弱すぎるのだ」
と言い放った。
黄龍王は、解明に弓を贈った自分を恥じた。
この話を聞いた瑠璃明王は『あやつは不孝の息子です。どうか誅殺してください』という内容の書簡を黄龍王に送った。

27年(8年)春3月、黄龍王は使者を送り、解明との面会を求めた。
解明が行こうとすると、家臣が諫めて言った。
「ただ会いたいという隣国の意図がつかめませぬ」
「天がおれを殺すつもりがないなら、黄龍で死ぬことはないだろう」
と言って、解明は黄龍国へ赴いた。
解明を殺そうと思っていた黄龍王だったが、実際に会って気が変わり、篤く持て成して送り届けた。

28年(8年)春3月、王は使者に解明宛ての親書を届けさせた。
「遷都して国家の基礎を固めているときに、おまえは私に従うどころか、力を頼りにして隣国から恨みを買う始末だ。
剣を与えるから、それで自決せよ」
解明は父の言葉に従って死のうとしたが、家臣が諫めて言った。
「王の嫡男はすでにお亡くなりになっており、跡継ぎは太子様しかおられません。
まだ、使者が伝えに来ただけでございます。
これが本当に大王の本心なのか、はっきりしておりませぬ」
「黄龍王が先に強弓を贈ってよこした。
だから、おれは黄龍国が我が国を見くびることを恐れ、あえて弓を折って返事としたのだ。
ところが、父王はおれを一方的に責め、不孝の息子は剣で自決しろという。
どうして父の命に抗うことができようか」
そう答えた解明は、礪津東原(地名)へ行き、槍を地面に突き刺すと、走っている馬から飛び込んで、槍に貫かれて死んだ。
享年21歳だった。
葬儀は礪津東原で行われ、廟が建立された。
それから、この地は槍原と呼ばれるようになった。

28年(8年)秋8月、夫餘の帯素王が高句麗へ使者を遣わし、瑠璃明王をなじって言った。
「先王(金蛙)と東明聖王は相通じるものがあった。
しかし、我が国の家臣を誘ってそこへ逃れ、人を集めて国をつくった。
国には大小があり、人には長幼がある。
小者が大者に礼を尽くし、幼者が長者に従うのは世の道理である。
いま王(瑠璃明王)が私(帯素)に礼を尽くして従うならば、天は必ずや王を助け、高句麗国は繁栄することであろう。
もし従わないなら、先祖を祭り続けることもできまい」
親書を読んだ王は言った。
「建国間もない今は、兵が弱く勝ち目などないから、恥を忍んで夫餘に従い、後世に恥辱をそそいでもらおう」
家臣と相談した上で、夫餘の使者に伝えた。
「わたしどもは遠い海の片隅で暮らしており礼儀を知りません。
大王(夫餘王)の教えはしかと承りました
いまは大王の命にただただ従うばかりでございます」
それを伝え聞いた王子の無恤は、まだ幼少の身であったが、夫餘の使者に会い、
「先王(朱蒙)は神霊の子孫で賢く多才であったのに、大王(帯素)がその才を妬み、金蛙王に讒言して馬飼いにしたのです。
そのため、先王は夫餘にいられず、仕方なく出奔したのです。
大王は省みることもなく、兵の多いことのみを頼りにして、我が国を軽蔑しています。
国に戻ったら、大王に次のように伝えてください。
『ここに累卵があります。大王が累卵を割らなければ、我々は喜んで大王にお仕えしましょう』」
と言った。
夫餘王は累卵の意味がわからず、国中の者に尋ねた。
すると、ひとりの老婆が説明した。
「累卵とは危険のことですじゃ。
それを割らないいうんは、安泰を意味しますじゃ。
『大王は自国が危うい状態なのにも気付かず、他国が従属するのを望んでおられる。国と国の関係が安泰ならば、当然のことながら、危険な状況など起こりえません』
高句麗の王子は、そう言いたかったのではないですかいのう」

29年(10年)夏6月、矛川(地名)の畔で、黒蛙(夫餘)と赤蛙(高句麗)が
戦って、黒蛙が死んだ。
29年(10年)秋7月、豆谷(地名)に離宮を造営した。

31年(12年)、新の王莽は匈奴を討つため、高句麗に出兵を命じた。
しかし、高句麗は新の軍令に従わないどころか、新が統治している郡を荒らしまわった。
遼西郡(中国河北省北部)の長官であった田譚は、高句麗を討伐しようとしたが、逆に殺されてしまった。
新の地方官僚は、高句麗に叛乱の罪を着せようとしたが、新の大臣厳尤は次のように上奏した。
『いま高句麗を責めれば、高句麗人は反抗するでしょう。そうすれば夫餘も同調します。匈奴にも勝てない状況で、夫餘や獩貊(中国吉林省に住んでいたツングース系民族)が背いたら、手立てがありません』
しかし、王莽は聞き入れず、厳尤に高句麗討伐を命じた。
厳尤は高句麗将軍の延丕を誘き出して殺害し、その首を都の長安(中国陝西省西安)に送った。
王莽は大いに喜んだ。
そして、高句麗王を『高句麗侯』から『下句麗侯』にして国中に周知徹底させた。
屈辱を受けた高句麗は、新の辺境地域をますます荒らした。

32年(13年)冬11月、夫餘が侵入してきた。
無恤が防衛にあたったが、正面から戦っても勝てないと思い計略を練った。
無恤は鶴盤嶺(地名)の山谷に高句麗兵を潜ませておき、夫餘軍が鶴盤嶺の麓に来たところで、不意をついて奇襲した。
夫餘の兵たちは馬を捨てて山へ逃げたが、高句麗兵に壊滅させられた。

33年(14年)春正月、瑠璃明王は、無恤を皇太子とし、国事と軍事を任せた。
33年(14年)秋8月、王は烏伊と摩離(ふたりとも朱蒙とともに夫餘を離脱した旧臣)に2万の兵を与え、梁貊国(玄莵郡所属の一郡)を滅亡させ、さらに軍を進めて高句麗県(玄莵郡所属の一郡)を奪った。

37年(18年)夏4月、王子のひとりが船着場で溺死した。
王は大変悲しんだ。
遺体を捜したが見つけることができなかった。
のちに、沸流(部族名)の祭須という者が亡骸を見つけて通報した。
遺骨は儀礼に則って王骨嶺(地名)に葬られた。
祭須には金10斤と田10頃が与えられた。

37年(18年)秋7月、瑠璃明王が豆谷に行幸した。
37年(18年)冬10月、瑠璃明王が豆谷離宮で薨去した。
遺体は豆谷の東原に埋葬され、諡号を瑠璃明王とした。


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韓国航空市場、格安とプレミアムの二極化か
 格安航空会社が注目を浴びている。大韓航空がエアコリアを設立し、アシアナ航空が釜山国際航空の筆頭株主となったことで、2大航空会社が共に格安航空会社を傘下に置くことになった。
 また、2年以上にわたって国内線を運航してきた済州航空と漢城航空は、今年下半期から国際線を就航する計画だ。その上、シンガポール航空系列のタイガー航空までが仁川市と協力し、国内の格安航空市場への進出を図るなど、海外の航空会社も国内進出を狙っている。国内の航空市場は格安航空券を武器とする「格安市場」と「プレミアム市場」に再編されていく見込みだ。
(中略)
 こうした中、格安航空会社は国際線で新たな勝負に出る構えだ。その中で競争が最も激しくなることが予想されるのは中国市場。山東と海南から中国全域にかけてオープンスカイ(航空自由化)が拡大していく2010年には、さまざまな価格帯の商品が開発されることが見込まれている。格安航空会社の設立が年内に集中しているのもこのためだ。
 国内の格安航空会社は、2年にわたって国内線2万便を無事故で運航すると、国際線に進出することができるようになっている。これにより、「済州路線を除くそのほかの路線で収益性がダウンしている状況で、国内線での下積み期間が終了すれば、格安航空会社のほとんどが国際線に重点を置くことになるだろう」と、格安航空会社が国際路線に進出することを懸念する声も上がっている。
 格安航空市場は今後、従来の格安航空会社に加え、大韓航空とアシアナ航空を交えた「4大格安航空会社」によってリードされていく見通しだ。
(中略)
chosun online 2008.02.25


東アジアの格安航空会社が活気づいています。

●済州空港をハブにする済州空港→今年の7月から国際線を就航予定
●釜山空港をハブにするエア釜山→今年下半期から国際線を就航予定
●清州空港をハブする漢城航空→今年下半期から国際線を就航予定
●大韓航空系のエアコリア→国内線で2年間2万便を無事故運行するという国内規定をクリアしたら国際線へ参入(おそらく2010年)
●合弁会社の仁川タイガー航空→国内線で2年間2万便を無事故運行するという国内規定をクリアしたら、国際線へ参入(おそらく2010年)
*中国では数社が格安航空便の就航を計画中
*日本では全日空が格安航空会社の設立準備中

韓国の格安航空会社は、韓国を基点にして日本・中国・北東アジアを結び、小型航空機を近距離路線に投入することで収益を上げようとしています。

日本政府はオープンスカイ政策に消極的なため、日本線は地方空港がメインになるようです。
現在、大韓航空とアシアナ航空が就航している路線を、順次、系列の格安航空会社に移し、集客人数が多くなくても収益が出る構造にする計画です。
このビジネスモデルが成功すれば、現在韓国からの乗り入れがない地方空港へも積極的に就航します。
女満別空港、能登空港、石垣空港などに、韓国の格安航空会社が乗り入れるかもしれないわけです。

これらの航空会社は、中国線も充実させる計画ですから、たとえば、ソウル金浦空港や釜山空港を経由地点にして、日本の地方空港と中国の地方空港が結ばれる可能性もじゅうぶんにあります。

もしそのような状況になれば、JAL、ANAの韓国路線はほぼ全滅ですね。羽田=金浦、羽田=釜山、関西=金浦、関西=釜山、中部=金浦くらいしか残らないと思います。

国交省が重い腰を上げて、オープンスカイ政策に邁進しないかぎり、日本のエアラインは、かつての日産やマツダのように、きっと外資企業になってしまいます。

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航空券を購入するときに注意したいのが、燃料サーチャージ(燃油特別付加運賃)です。
燃料サーチャージは、数年前から導入されている航空運賃の諸経費で、燃料費の高騰分を補うために設けられました。

たとえば、JALの東京=ロンドン線で¥34,000円(往復分)になります。
5、6万円で買える航空券に3万円以上プラスされてしまうのですから、とても諸経費とは言えません。

この燃料サーチャージは、航空会社によって、かなりの差があります。
東京=ロンドンで、ANAは¥26,000円ですが、キャセイパシフィック航空は香港経由にもかかわらず¥17,000円です。

日韓線の燃料サーチャージは以下のとおりです。(2008年2月15日現在)

日本航空:¥4,800円
全日空:¥4,000円
ノースウェスト航空:¥4,800円
大韓航空:¥4,600円
アシアナ航空:¥4,800円

韓国線に関しては、あまり気にしなくてもよさそうですね。
でも、欧米路線は航空会社による金額差が大きいので、格安航空券を買うときには、燃料サーチャージの金額をしっかり確認してください!

それから、燃料サーチャージの金額はしばしば変更されるため、数カ月先の航空券を予約すると、値上げ分を追加請求される場合があります!

詳細は→燃料サーチャージ・航空保険料一覧

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航空券を購入する際には、諸経費が別途必要です。
たとえば、ユナイテッド航空の東京=ロサンゼルス線を購入する場合、以下のような諸経費がかかります(現地費用はドル建てなので為替レートによって変わる)。

燃料サーチャージ(燃油特別付加運賃):\34,000円
航空保険料:\600円
成田空港施設使用料:\2,040円
ロサンゼルス空港施設使用料:\600円
入国審査料:\850円
税関審査料:\700円
検疫使用料:\600円
国際通行税:\3,600円
空港保安税:\350円

すごいですね。
合計約\43,340円です。
航空券本体の値段とかわらないですね。
燃料サーチャージと航空保険料は航空会社によって異なりますが、そのほかの費用は、どの航空会社の飛行機に乗っても同額が請求されます。

成田空港=仁川空港間を大韓航空に乗って飛んだ場合、以下のような諸経費が必要です。

成田空港施設使用料:\2,040円
仁川国際空港施設使用料:\3,300円
航空保険料:\200円
燃料サーチャージ:\4,600円

合計\10,140円です。
冬場の格安航空券が2、3万円ですから、パーセンテージで考えると、諸経費がかなりの割合を占めることになります。

燃料サーチャージ・航空保険料一覧

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・・・そのマウルバスの運転、かなりえげつないものがある。だいたい、韓国のバスは神風バスだけど、このマウルバスは特にすごい。路線が細い生活道路ばかりで、混む道もほぼ皆無、交通量も非常に少ない道ばかりを通る。30分で一周する循環バスで、一台のバス、一人の運転手さんが一日中、一週間毎日(いつ見ても同じ顔だから)運転している。

運転手さんは早く終点(我が家は終点だ)につけば、余った時間でトイレ行ったりタバコ一服したりすることができる。そのために、運転手さんは早く一周することにやっきになっている。急発進急ブレーキしまくり、えげつないクラクション鳴らしまくり、バス内では悪態つきまくり、わたしは昔ゴンを抱っこしたまま椅子から前にこけ落ちたことがあるくらいだ。

が、昨日のマウルバスは何かが違った。まず、始発バス停で待ってるのに、いつまでたってもバスが来ない。いつもなら5分前には来て停まってて、車内で座って出発を待つはずが、バスはギリギリに来て休むことなくそのまま出発。そして、しばらく走るうちに、何か変だなあと感じた。

最初はそれが何か気付かなかった。が、5分ほどしてわかった。「信号停止してる!!!」

そういえばさっきの交差点でも停まっていた。今も停まってる。ほらほら、信号全部守ってる!急加速急ブレーキもしない、スムーズで滑らかで、立っていても大丈夫なくらい!そのせいでもちろん速度は落ちるので、いつもより数分遅れてるようだったけれど、それでもちゃんと30分で一周できてる。なーんだ、信号守っても間に合うんじゃん・・・

驚きのマウルバス


アップ韓国は田舎へ行けば行くほど、バスの運転が粗くなるみたいですね。
運行時間もかなりいいかげんです。
ソウルや釜山ではバスに乗ることがほとんどないので、運ちゃんが信号無視しているかどうかは知らないのですが、歩道から見ていても危なっかしい運転をしています。
でも、10年前と比べたら、かなりよくなったのではないでしょうか?
昔は本当に怖かった!
バスがバウンドして、座席から転がり落ちたことは、一度や二度ではありません。

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・・・ところでご存知の方も多いだろうが、ここ韓国では1歳の誕生日にあたって、盛大に祝う昔からの習慣(トルチャンチ)が今でも残っている。
うちは、家族だけで韓定食を食しながら、こじんまりとやろうということにし、日程はトマトの誕生日パーティ出席を誰よりも楽しみにしていた一番下の妹が、トマトの誕生日頃は出張が重なると言うので、実際の誕生日が過ぎてはいたが、2月3日に決定。結局彼女は多忙で来れなかったのだが・・・
トマト1歳、トルチャンチの様子


小学生のとき、浜松の従兄弟が1歳のお祝いをするというので、ゴールデンウィークに遊びに行ったことがあります。
テレビのニュースとかでも流れるので、ご存知の方も多いかと思います。
5月5日に祝うのですが、ネーム入りの大凧を上げたり、町内の人にご馳走をふるまったり、子供たちにお菓子袋を配ったりと、盛大なお祝いでした。
この間、伯母さんに当時のことを聞いたら、100万円以上かかったと言ってました。

韓国にはトルチャンチがあります。
韓国はいまだに数え年で年齢を言います。
ですから、1歳の誕生祝いというのは正確な表現ではありません。
生誕1周年記念のお祝い行事というのが正解です。
この前に生誕100日を祝う行事もあり、ペギルチャンチといいます。

このトルチャンチ、かなり盛大に祝います。
誕生日に近い週末にホテルやレストランで行われることが多いのですが、へたな結婚披露宴よりも立派だったりします。
結婚披露宴同様、参加自由ですから、100人規模になることも少なくありません。
両親の職場の同僚まで来たりしますから、交友関係が広い人だと、すぐ100人くらいになってしまいます。
最近は子供をひとりしかつくらないので、おじいちゃん、おばあちゃんが気合入りまくりというパターンが多いようです。

パク家では、ジンさんの娘とソナちゃんの息子のトルチャンチに参加しました。
トルチャンチのためだけに日本から出向いたのですが、親類が外国から馳せ参じるには当たり前といった感じでした。
2回とも釜山市内にあるレストランで開かれたのですが、子供がぐずらないよう、ディズニーキャラクターで埋め尽くされた宴会場でした。
いつも疑問に思うのですが、このキャラクターたち、ディズニーから使用許可をとっているのでしょうか?

最近のトルチャンチでいちばん大切なのは、成長記録上映会です。
韓国のパパは、この日のためにビデオを回し続けるわけです。
最近は自分で編集する人も増えていますが、忙しい人やパソコンに弱い人は専門業者に編集してもらいます。
日本だとおざなりの拍手だけして仕方なくビデオを見ている人が多いと思うのですが、韓国では本当に盛り上がります。
涙を流しながら見ている人もけっこういたりします。
さすが情に篤い国です!

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・・・あまりの急な音と振動に、後部座席が爆発したんちゃうか!と思い、慌てて後ろを振り向いたら、妹とトマトは無事なようだ。ヤレヤレ。
ここでふっと冷静になって、こりゃあ、当てられたな、と分かった。
停止していた状態であったが、後ろは車で渋滞していたので、路肩に止め、「外人や思ってなめられたらあかん、ここは威厳を持たんと。」と思い、少し緊張気味で出て行った。
私が出たら、当てたほうの運転手も出てきた・・・
旧正月前に、こんな事件?!


韓国って、本当に交通事故が多いですよね。
ボクは、特別なことがないかぎり、韓国でハンドルは握りません。
だって、怖いですからbikkuri01

パク家でも、半年に一度はぶつけられています。
ひんぱんに事故に遭うのは義母です。
トラックやタクシーにひっかけられて、よく車を壊しています。
中型乗用車のソナタでは命が持たないというので、去年から大型四駆のレクストンに乗っていますが、すでに1回おかまを掘られています。

最悪なのは、こちらが停まっているときにぶつけられたケースです。
数年前、ソウルでタクシーに乗っているとき、乗用車が横を通り過ぎたとき、タクシーのドアミラーを壊していきました。
怒ったタクシーの運ちゃんはすぐ追いかけましたが、その乗用車はぶつけた瞬間から逃げるつもりだったらしく、ダッシュで逃げてしまい、ナンバーもわからずじまい。
けっきょく泣き寝入りでした。
運ちゃん、かわいそうでした。泣
打ち合わせに遅刻して仕事をひとつ無くしたボクも、かわいそうでした泣

それにしても、韓国人はどうして運転が粗いのでしょうか?
急に車線変更したり、無理やり曲がったりするから、ぶつけてしまうのに・・・
まぁ、せっかちだからなんでしょうね〜病院

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この前、ユリのオムツが切れちゃってネットで注文したんだけど、
それが着払いで来ることになっていた。
でもちょうどオムツが届いた時、留守にしてて
アパートの管理事務所に預けられていた。
でも着払いなのにそのまま置いていったらしく・・・
ラッキーとか思ってたんだよね・・・
韓国の宅配事情



韓国の宅配便は、かなりいいかげんです。
ケンチャナヨを3乗したくらい、いいかげんです。

たとえば。
荷物を勝手に置いて帰ってしまいます。
これ、絶対に困ります怒
管理人室や近所に預けて何の連絡もありません。
ネットショップに連絡すると「発送済み」と言うし、宅配会社に問い合わせると「配達済み」という返事しかありません。
配達に来る人はしょちゅう替わるから、顔なじみの配達人をつかまえるわけにもいきません。
だから、管理人さんが受け取ったことを忘れていたりすると、荷物は管理人室の片隅に放置されっぱなしなわけで・・・
とにかく、人様の預かり物をお届けしているという責任感がありません。
指定時間に届けろとは言いませんから、宛名の住所に持ってきてください大泣き

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・・・そのおしゃべりの中で、夫に対するささやかなギモンがひとつ解けたのであった。

「韓国では、恋人がレポートを代わりに書いたりすることがよくあります」

そうか!日本で夫の作文の宿題や、願書に書く自己紹介とかの書類、私がかなりの割合で手伝わされた理由はこれだったか〜・・・
なぞがひとつ解けた


アップそういえば、ボクもよく課題を手伝わされました。
結婚前のヨボは、日本語通訳を目指していたので、日本語の作文はもちろん、歴史、地理、文学などの宿題がたくさんありました。
彼女は自分で調べるのが面倒くさいので、ボクの頭を辞書代わりに使っていました。
ボクには仕事があるので、そうそう手伝うわけにもいかなかったのですが、「忙しいから今はダメ」なんて言おうものなら炎・・・大変でした汗;
確かに、手伝って当たり前という態度でした。

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・・・またまたまた仕事上色々な動きがあり、
今の会社で一緒に働いていた人の内3人が突然
首を宣告されました・・・
韓国で社会生活をしてみて・・・


現代、サムスン、SKなど一部の巨大企業を除けば、韓国の労働環境は劣悪です。
中小企業では、簡単に首を切られてしまいますがっくり
ちょっと経営状態が悪くなると、まず従業員を首にしますよね。
仕事が忙しくなったら、別の人を雇えばいいと考えているんですね。

韓国は「職人を育てない社会」です。
現代自動車がFR(後輪駆動)の高級車ジェネシスを出しましたが、エンジンはダメダメです。
M社のエンジニアに聞いた話なのですが、現代自動車には油まみれになってエンジンを開発する人がとても少ないのだそうです。
ソウル大学を出た優秀なエンジニアは、CADで設計するのみで、現場にはあまり足を運ばないということです。

高級車のエンジンは、職人が組み上げます。
機械任せでは精度が出ないからです。
日産GT-RのV6エンジンや、トヨタセンチュリーのV12エンジンは、ひとりの職人が無菌室ですべてを組み上げます。
ベンツやBMWも同様です。
こういった職人を育てるには10年も20年もかかります。
新人を仕込むベテラン社員も必要です。
この人たちは普通の社員なので、特別高い給料を貰っているわけではありません。
一般社員を大切にする社風がなければ、韓国が日本を凌駕するのは難しいのではないでしょうか。

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・・・ネジャンタンは直訳すると、内臓鍋。
とってもグロテスクなネーミングだけど、タラの白子やタラコや、肝がたっぷりの文字通り、タラの内臓の鍋・・・
ネジャンタン


↑ブログ掲載の写真を見て、無性にネジャンタンが食べたくなりました絵文字名を入力してください
真鱈のネジャンタンって、本当においしいですよね。
超激辛スープが寒さをふっとばしてくれます。
舌が辛くなったらえぇ甘い白子を食べて中和させるのがコツです。
ボクは、具を焼酎のツマミにし、最後に白飯をぶっこんで食べるのが好きですbikkuri01

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・・・まずは土曜日。この日はダンナの強い希望によりソンジへジャングッを食べに行くことに。
ちなみにソンジというのは牛の血の煮こごりで、それ自体に味はほとんどないんですが、
私はこの食感(なんというか微妙に乾いたプルプル感?)がどうにも苦手なんですよね。
しかも行こうとしてるお店はメニューがたったひとつしかないところでして・・・。
まぁそれだけこだわりがあるんでしょうが、かなり負担・・・
久しぶりの新沙


ボクの場合、新沙洞へは、アグチム(あんこう炒め)かカンジャンケジャン(渡り蟹の醤油漬け)を食べに行きます。
へジャンクは、もっぱら鐘路で食べています。
ソウル観光ホテルの近くに、へジャンク屋が並んでいて、酔っ払いオヤジのために24時間営業しています。
ボクも、ご他聞に漏れず、鐘路や仁寺洞あたりで飲んだあと、ヘジャンクを食べるパターンが多いです。
焼酎を飲んだ後にヘジャンクを食べると、二日酔いが多少おさまります。
辛いスープが効くんでしょうか?
ソンジ(ボクは血豆腐と呼んでいます)は、入れたり入れなかったりです。
以前はよく食べていたのですが、最近は病原菌とかいろいろあるので・・・
でも、ピュニュプニュした独特の食感は、ソンジならではのものですよね。

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なぜかというと、息子ののぶきくんは保育園(オリニチプ)へ通っているため、韓国語がどんどん上手になってきてしまい、私
が家で日本語を話しても韓国語で返ってくるので私としても日本語で話すより韓国語で話す方が楽だからです・・・
韓日語を話す息子


ジンさん家の娘は、幼稚園に通っているのですが、そこは中国人の子供が集まるところです。
はじめは普通の幼稚園に通わせていたのですが、去年の春から今の幼稚園に移ったのです。
ジンさん曰く
「これからは中国だから、娘は韓国語と中国語のバイリンガルにする!」
確かに、北京語で話しかけると、延辺訛りの中国語でちゃんと返事します。
でも、こういうのってどうなんでしょう寝る
まだ韓国語もまともにできない子供に中国語を習わせても・・・orz
そういえば、このジンさん。
上の息子たちのときには、タダで英語を教えてくれるという理由で、モルモン教の教会に通わせていました。
けっきょく、英語はものにならず、アメリカへ語学留学させました絵文字名を入力してください

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このデボルンナルの伝統的な料理として食べられているのが、五穀ご飯(오곡밥)。
五穀ご飯は、5種類以上のの穀物を混ぜて炊いたご飯のこと。
米・ムギ・キビ・アワ・小豆・黒豆など。地域によって、混ぜる種類は違うようです・・・
陰暦の正月15日デボルム


阿伊家でも大邱風の五穀飯を炊いて食べました。
義母が送ってくれた材料で作ったのですが、韓国からわざわざ送ってきたのには理由がありました。
韓国も日本同様、中国から食料を大量に輸入していて、スーパーで売られている五穀飯の材料は中国の輸入品です。
義母は大邱の山奥出身のため独自のルートを持っていて、ほとんどの食材を農家(もしくは田舎の自由市場)に行って仕入れています。
殺人餃子などの中国食品報道を見て、娘(と婿?)のために安全な食材をEMSで送ってくれたのです泣
母の愛は永遠ですLOVELOVELOVE

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先週のお正月の時にお父さんの故郷へ行って来ました。
ソウルから東の方の海の方へ行った場所にあるカンウォンドと言う所なのですが、車でだいたい4時間程度・・・
お父さんの故郷へ


妻の父は大阪生まれです。
通天閣の近くで生まれ育ちました。
数年前、義父から日本在住時の話を聞き、妻といっしょに大阪を訪ねたことがあります。
何度となく行っていた大阪ですが、義父が住んでいたと思うと、妙な親近感が湧いてきました。
不思議ですね。
通天閣一帯は開発が進んで、戦前の面影はありませんが、義父がよく行っていたという串揚屋さんはありました。
義父は今でも日本風の揚げ物が大好きで、トンカスをツマミにして焼酎を飲んだりしています。

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